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旧街道歩きの勧め [ウオーキング]

旧道の痕跡標識 
最近、街道を歩くことがひそかなブームになっている。家の近くに日光街道と呼ばれる国道4号がある。この道路の狭い歩道を一人ないし二人ずれで黙々と歩き続ける人々を見かけるのである。さすがに日光街道歩きでは、アピールするものを見いだせないのかツアーの商品化が難かしいのか、団体さんは見かけない。しかしながら中仙道では、昔ながらの宿場町の街並みを売り物にした観光地があることは確かである。しかし、お仕着せではない自分で新たな発見を探したい方には、適している旅の一つではないだろうか。
 さて、日光街道に話を戻す。街道歩きのスター街道は東海道である。本屋さんには、たくさんの道中情報、道中案内、踏破記録等の書籍であふれている。東海道はほとんど歩いたことがないので、わからないが、案内板や説明用の標識などが整備されているのだろうか。というのも、ターゲットにしている、日光街道、例幣使街道、奥州街道に関する情報、書籍類は少ないのである。頼りになる情報源はインターネットでの体験記である。また、日光道の途中を少し歩いてみたが、案内板、標識の類は少ない。ちなみに小山市内では皆無である。個人的は、「開運評定」よりこちらもアピールして欲しい。

 日光山への参詣道として、古来より様々な道筋が存在していたようである。公に整備され始めたのは江戸時代の東照宮の造営、参詣に関わるものである。東照宮が完成すると、徳川家最大の廟所として、将軍をはじめ諸大名や武家、公家、さらに庶民まで参詣したので、日光への往来は盛んになり、ここに幕府の政策とも相まって日光参詣をめざす街道は多く開かれた。

 ところで、現在の日光街道と江戸時代の日光街道は同じ道筋であろうか。現在の国道4号では、栃木県内に限れば野木から宇都宮までの道筋は三島通庸が決めた経緯もあり、この部分では、旧日光街道を踏襲している部分もあり、直線化を図ったのか少し離れたところに道筋が作られたため、忠実には反映していないのである。部分的に現在においても、生活道路のような小道として現存している道もあるが、地図上から消滅してしまった道筋もあるのである。

 さて先日、旧千住宿から旧草加宿の旧道を歩いてきました。北千住駅の西口より宿場町商店街を北へ。なかなか人通りの多い商店街で、街灯には昔の日光街道の各宿場の絵図が飾られていた。ここが宿場であったことを主張しているようだ。200メートルほど歩くと、千住ほんちょう公園。また、2、3件の古い家並みが残り、絵馬屋さん、だんごやさんがあり少しだけ名残が残っていた。この道をまっすぐ行くと荒川の土手にぶつかる。長い新橋大橋を渡り、土手の下までおり、川に沿って西方にあるく。善立寺が角にある川田橋交差点を右への道が旧道で現存している。
川田橋交差点(旧道入口)
歩道付きの2車線の立派な道路である。途中に子育て地蔵があった。子連れの若い母親がお参りしていた。ほどなく、東武伊勢崎線の梅島駅を左に見ながら通り抜ける。まもなく、環状7号線と交わる島根交差点を過ぎる。旧道のなごりはなにも見いだせず、しだいに細い道となり、足立清掃工場の前を抜けると草加バイパスに出くわした。旧道はその道をさらにまっすぐに歩道もない道を行くと、県道49号線に出る。この道が旧道の道筋である。この道を左折して草加方面に向かう。
県道49号線埼玉県へ
少し行くと埼玉県に入り、谷塚駅近くの瀬埼町歩道橋のところに「浅間神社」があった。またこのあたりよりせんべい屋さんが何軒か目にするようになる。さらに進んでゆくと斜め左へ向かう道に遭遇。この道が旧道であるから歩道もない車が行き交う道を進む。この通りにも2、3軒であるが昔の商家の蔵が残る。市役所を過ぎ駅前通りにでる。本日はこれまで。左の草加駅に向かう。約2時間のウオーキングでした。続きは後ほど。
 
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