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野球と「坂の上の雲」 [坂の上の雲]

 「坂の上の雲」の主人公の一人、正岡子規は野球用語の日本語の用語化に貢献した一人であり、その功績をもって2002年に日本野球殿堂入りを果たしている。

 子規は日本に野球が導入された最初の頃の熱心な選手でもあり、明治22年(1889年)に喀血してやめるまでやっていた。ポジションは捕手であった。

 ベースボールを「野球」と訳したのは、中馬庚(ちゅうまん・かなえ)であるが、表記上の野球を「のぼーる」と呼び、本名昇にかけて「野球」と表記していたのは、中馬庚がベースボールを野球と訳す4年前だそうである。
 正岡子規が訳出した用語は、「バッター」「ランナー」「フォアボール」「ストレート」「フライボール」「ショートストップ」などで、それぞれを「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」「短遮(中馬庚が遊撃手と表現する前の呼び名)」と日本語に訳したののである。

 司馬遼太郎は「坂の上の雲」の第一巻の中で、子規の野球事情を次のように表現している。引用する。

 人一倍疲れやすいからだをもっていながら明治二十年ごろからベースボールに熱中し、
仲間を組んでほうぼうで試合をしたりした。ちなみにベースボールに
「野球」
 という日本語をあたえたのはかれであった、と河東碧梧桐などはのちしきりに書いているが、そうでなく
子規と一高の同窓の中馬庚(ちゅうまん・かなえ)だったといわれている。いずれにせよ、子規はこの喀血
後十日程して様子がよくなるともう寄宿舎の門前の路上で球を投げたりした。球は硬球であり、この当時
はミットもグローブもなく、素手でうけた。ぴしゃっと素手が鳴って球をうけると、掌が染めたように赤くなった。
そういう運動を重症状の病人がした。かといって療養についての知識があるほうだから、やはり天性の楽天
家なのかもしれない。

以上であるが、このあたりの事情は前回のテレビドラマの中でも紹介されていた。
「野球」という用語は、1894年にできたから、もうすでに115年たつ。
今の野球状況を正岡子規がみたら、なんとコメントするのだろう。興味はつきない。




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