坂の上の雲 主人公秋山兄弟のこと [坂の上の雲]
ヤンキース松井選手の去就は、J・デーモンとの交渉結果に大きく影響を受ける、という状況に変化はない。少し変換してきていることは、GMがやっと松井選手のバックに日本の優良企業のジャパン・マネーが潜んでいることに気づき始めたことか。来年度のチーム年棒を今期の15%カットする方針でチーム編成をこなっているということは、収入面が今期は苦しかった、という証である。アメリカの経済不況はまだ深刻であるし、ヤンキースとのスポンサー契約を更新しない企業もたくさんあるはずである。この状況下で、安易に松井選手を手放すと同時に日本のスポンサーも契約解除となれば、営業的にみても大幅な減収となるはずである。スポンサーのひとつである読売新聞はこのことをはっきりと言明している。いよいよおもしろくなってきた。推移を見守りたい。
さて、今回は「坂の上の雲」の話で、前回は主人公の一人正岡子規の隠れた一面を紹介した。あとの二人秋山兄弟である。この二人を「坂の上の雲」の「真之」の中で、以下のように表現している。
明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級である旧士族しかなかった。この小さな、世界の片田舎のような国が、はじめてヨーロッパ文明と血みどろの対決をしたのが、日露戦争である。
その対決に、辛うじて勝った。その勝った収穫を後世の日本人は食い散らかしたことになるが、とにかくこの当時の日本人たちは精一杯の知恵と勇気と、そして幸運をすかさずつかんで操作する外交能力のかぎりをつくしてそこまで漕ぎつけた。いまからおもえば、ひやりとするほどの奇蹟といっていい。
その奇蹟の演出者たちは、数え方によっては数百万もおり、しぼれば数万人もいるであろう。しかし小説である以上、その代表者をえらばねばならない。
その代表者を、顕官のなかからはえらばなかった。
一組の兄弟にえらんだ。
すでに登場しつつあるように、伊予松山のひと、秋山好古(よしふる)と秋山真之(さねゆき)である。この兄弟は、奇蹟を演じたひとびとのなかではもっとも演者たるにふさわしい。
たとえば、こうである。ロシアと戦うにあたって、どうにも日本が敵しがたいものがロシア側に二つあった。一つはロシア陸軍において世界最強の騎兵といわれるコサック騎兵集団である。
いまひとつはロシア海軍における主力艦隊であった。
運命が、この兄弟にその責任を負わせた。兄の好古は、世界一脾弱な日本騎兵を率いざるをえなかった。騎兵はかれによって養成された。からは心魂をかたむけてコサックの研究をし、ついにそれを破る工夫を完成し、満州の野において悽惨(せいさん)きわまりない騎兵戦を蓮闘しつつかろうじて敵をやぶった。,
弟の真之は海軍に入った。
「智謀湧くがごとし」といわれたこの人物は、少佐で日露戦争をむかえた。
それ以前からかれはロシアの主力艦隊をやぶる工夫をかさね、その成案を得たとき、日本海軍はかれの能力を信頼し、東郷平八郎がひきいる連合艦隊の参謀にし、三笠に乗り組ませた。東郷の作戦はことごとくからが樹(た)てた。作戦だけでなく日本海海戦の序幕の名口上(めいこうじょう)ともいうべき、
「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直(ただち)ニ出動、之ヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」
という電文の起草者でもあった。
この兄弟がいなければ日本がどうなっていたかわからないが、そのくせこの兄弟が、どちらも本来が軍人志願でなく、いかにも明治初年の日本的諸事情から世に出てゆくあたりに、いまのところ筆者はかぎりない関心をもっている。
最初にここまで読んだときに、最後までこの物語を読もうと思った。この作品の特徴は、他の作品でも同じだが、話の展開の合間に、司馬遼太郎の歴史観がときどき顔をみせるのである。いわゆる司馬史観とよばれるものである。どちらかというと、この司馬史観が面白いのである。歴史教科書では得られない印象を与えてくれる説得力のある見解を教えてくれる。なるほど、この小説を書くにあたり神田の古本屋街からあらゆる関係書籍を買いあさったいう伝説が残されているくらの資料の裏付けをもとに書かれたようである。
此の本を読むとなんとなく勇気づけられるのである。テレビドラマではどのくらい司馬史観を魅せてくれるのだろう。
さて、今回は「坂の上の雲」の話で、前回は主人公の一人正岡子規の隠れた一面を紹介した。あとの二人秋山兄弟である。この二人を「坂の上の雲」の「真之」の中で、以下のように表現している。
明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級である旧士族しかなかった。この小さな、世界の片田舎のような国が、はじめてヨーロッパ文明と血みどろの対決をしたのが、日露戦争である。
その対決に、辛うじて勝った。その勝った収穫を後世の日本人は食い散らかしたことになるが、とにかくこの当時の日本人たちは精一杯の知恵と勇気と、そして幸運をすかさずつかんで操作する外交能力のかぎりをつくしてそこまで漕ぎつけた。いまからおもえば、ひやりとするほどの奇蹟といっていい。
その奇蹟の演出者たちは、数え方によっては数百万もおり、しぼれば数万人もいるであろう。しかし小説である以上、その代表者をえらばねばならない。
その代表者を、顕官のなかからはえらばなかった。
一組の兄弟にえらんだ。
すでに登場しつつあるように、伊予松山のひと、秋山好古(よしふる)と秋山真之(さねゆき)である。この兄弟は、奇蹟を演じたひとびとのなかではもっとも演者たるにふさわしい。
たとえば、こうである。ロシアと戦うにあたって、どうにも日本が敵しがたいものがロシア側に二つあった。一つはロシア陸軍において世界最強の騎兵といわれるコサック騎兵集団である。
いまひとつはロシア海軍における主力艦隊であった。
運命が、この兄弟にその責任を負わせた。兄の好古は、世界一脾弱な日本騎兵を率いざるをえなかった。騎兵はかれによって養成された。からは心魂をかたむけてコサックの研究をし、ついにそれを破る工夫を完成し、満州の野において悽惨(せいさん)きわまりない騎兵戦を蓮闘しつつかろうじて敵をやぶった。,
弟の真之は海軍に入った。
「智謀湧くがごとし」といわれたこの人物は、少佐で日露戦争をむかえた。
それ以前からかれはロシアの主力艦隊をやぶる工夫をかさね、その成案を得たとき、日本海軍はかれの能力を信頼し、東郷平八郎がひきいる連合艦隊の参謀にし、三笠に乗り組ませた。東郷の作戦はことごとくからが樹(た)てた。作戦だけでなく日本海海戦の序幕の名口上(めいこうじょう)ともいうべき、
「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直(ただち)ニ出動、之ヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」
という電文の起草者でもあった。
この兄弟がいなければ日本がどうなっていたかわからないが、そのくせこの兄弟が、どちらも本来が軍人志願でなく、いかにも明治初年の日本的諸事情から世に出てゆくあたりに、いまのところ筆者はかぎりない関心をもっている。
最初にここまで読んだときに、最後までこの物語を読もうと思った。この作品の特徴は、他の作品でも同じだが、話の展開の合間に、司馬遼太郎の歴史観がときどき顔をみせるのである。いわゆる司馬史観とよばれるものである。どちらかというと、この司馬史観が面白いのである。歴史教科書では得られない印象を与えてくれる説得力のある見解を教えてくれる。なるほど、この小説を書くにあたり神田の古本屋街からあらゆる関係書籍を買いあさったいう伝説が残されているくらの資料の裏付けをもとに書かれたようである。
此の本を読むとなんとなく勇気づけられるのである。テレビドラマではどのくらい司馬史観を魅せてくれるのだろう。
2009-12-12 23:20
nice!(1)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0