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【映画本】『KAWADE夢ムック 黒澤明』より井上陽水のエッセイ「志村喬の微笑み」 [書評]

 井上陽水と黒澤明という異色の組み合わせである。この雑誌の中で発見した井上陽水のエッセイ「志村喬の微笑-『虎の尾を踏む男たち』の背景」の中に同氏の黒澤映画への憧憬を窺い知ることができた。

 このエッセイでの表現を借りて、映画が作製された時代背景を描写すると
 黒澤明監督の映画、『虎の尾を踏む男達』は、この日(筆者注:1945年8月15日)にまたがって制作されている。太平洋戦争の戦局は“敗戦”へと大きく傾き、食料物資の欠乏をはじめ、諸事にわたって制限、規制され、多くの国民が不便と飢餓、不安と絶望を感じていた、その惨憺たる状況の中で、この映画が開始されている。そして制作が完了した時には、日本の主権が連合国、ダグラス・マッカーサー率いるGHQへ移行していたことを考えると、『虎の尾を踏む男達』の背景は誠に興味深い。

 このあと、この映画を初めてみたきっかけとこの映画を制作する前の黒澤明の作品について言及し、『虎の尾を踏む男達』のストーリーを紹介している。その表現を借りると、
 物語は、頼朝に追われた源義経一行がつくり山伏となって奥州への道中、新設された安宅の関にさしかかり、そこで咎められては弁慶の才覚と力量によって難局を切り抜けるというものだ。弁慶に大河内伝次郎、強力には榎本健一、森雅之や志村喬らが山伏に扮し、義経の岩井半四郎をいただいて、守りを固めている。関守の富樫に藤田進、そしてキャスティングの妙を堪能させてくれるのは、義経捕縛の命を受けた梶原の使者に久保保夫、義経一行に酒をふるまう富樫の使者には清川荘司を配しているところで、特に久保保夫の典型的なメイクからは、彼の役どころである、疑い深く、神経質、小者、出世主義、官僚主義などが情報として容易に伝わってくる。

 なかなか、微に入り細にわたる観察眼である。そしてこのエッセイの核心部分に入る。

 ある意味でこの物語は、強力に扮するエノケンの視点から見た話にも思える。最初、彼は山伏一行を義経のそれとは知らず、強力として同行する。険しい山道での一休みという時には彼は世間話を始め、兄と不仲になった義経の境遇に同情を示し、しかし弁慶という強い家来がいるから大丈夫だと一行に話す。どのくらい弁慶が強いのかの説明で、「何しろ敵の首をつかんでは“スッポン、スッポン”」と抜いてしまうのだと言って山伏一同を大笑いさせるシーンがあるが、志村喬だけがカメラがパンする画面のなかで一人、静かに微笑んでいる。別段、どうということのないそのシーンに私はなぜか、強く興味をひかれた。

 その理由を以下に記述している。
 
 後期の黒澤明の演出の様子がテレビなどで紹介され始めたのは『影武者』の撮影の頃で、ベテラン俳優の大滝秀治が黒澤に罵倒されているところがテレビ画面に写し出されたことがある。黒澤演出の厳しさを現代の目が取り上げたわけだが、それから武将一同、皆で笑うシーンに移ってからも大滝は緊張した表情を払拭できぬまま、黒澤の指示に従って必死に笑っているように見えたことが印象に残っている。また、黒澤の最後の作品になった『まあだだよ』でも、一同が大声で笑っているシーンがあり、それが映画的なのかもしれないが、画一的な人間集団の様相に、なにか硬直したものを感じないわけにはいかなかった。

 そしてこのような状況となった理由を井上陽水は次のように分析している。

 『虎の尾を踏む男達』の撮影の頃(筆者注:黒澤明 35歳)、黒澤明と志村喬の関係は一体、どんなものだったのだろう。当時の志村も若かったろうが、黒澤とてまだ若手監督の域をでていなかった頃だと思う。
(中略)
「次のシーンは皆で大笑いを、志村さんだけは微笑んで下さい」などという、厳密なリアリズムを求めての細かい指示を黒澤が出していたとは思えないのだ。大筋での注文を出して芝居させ、多少、意に反した動きがその中にあったとしても、当時の黒澤はそれをよしとして受け入れることが出来たのではないかと思う。

 大監督、巨匠、果ては天皇、とまで呼ばれるようになった後年の黒澤明にとって、多くのスタッフや俳優の誰もが自分よりも遥かに若く、いつの間にか明治生まれが極めて少数となってしまったことに愕然としながら、それでもなお、自らの志向する“美”をフィルムに焼き付けておこうとしても、なかなか深いところでの理解が得られぬまま、周囲も黒澤の思うようには動いてくれなかったであろう。当然、「右向け右」としか指示のしようがなく、誰もが言われたとおり、棒のように動くほかなかったのだと思う。

 この次の文章が、最も言いたい表現となっているが、それは本書で読んでほしい。

晩年期の作品がなんとなく違和感を感じていたが、こんなところに理由の1つがあることを理解したことは収穫であった。


黒澤明 永久保存版 増補新版―生誕100年総特集 (KAWADE夢ムック 文藝別冊)

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2010/01
  • メディア: 単行本



虎の尾を踏む男達<普及版> [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 東宝
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虎の尾を踏む男達 [Blu-ray]

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