【本】インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸684日 中村安希著 [書評]
著者は1979年生まれの女性。この本に書かれた旅行は26歳から28歳にかけて実行された一人旅の記録である。
旅じたくについては、
私は45リットルのバックパックの底に980円のシェラフを詰めた。3日分の着替えと洗面用具、パブロンとバッファリンと正露丸を入れた。それからタンポンとチョコラBB。口紅とアイシャドウと交通安全のお守りを用意した。パソコンとマイクとビデオカメラを買い揃え、小型のリュックに詰め込んだ。果物ナイフや針金と一緒に、ミッキーマウスのプリントがついた覆面も忍ばせた。そして、ジムで鍛えた両腕に四本の予防注射を打ち、体重を3キロ増やして日本を離れた。
そして、モンゴル、中国、チベット、ネパール、マレーシア、タイ、カンボジア、ミャンマー、インド、パキスタン、中国、キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタン、イラン、シリア、ヨルダン、イスラエル、イエメン、ジブチ、エチオピア、ケニア、ウガンダ、タンザニア、マラウイ、ザンビア、ジンバブエ、南アフリカ、ガーナ、トーゴ、ベナン、ニジェール、ブルキナファソ、セネガル、モーリタニア、西サハラ、モロッコ、ヨーロッパ、ポルトガル迄旅した。
昔から俗に言われる貧乏旅行記の元祖は、小田実の「何でもみてやろう」や沢木耕太郎の「深夜特急」が有名であるが、この本は女性一人旅の旅行記であることがユニークであり、草食系男性陣には及びもつかないバイタリティを感じる。その土地土地で出会った人々との関り合いを率直に書いていることと、特にアフリカにおける白人と有色系人との間ににある暗黙の差別観を感じるくだりは、総ての人種が平等であるという概念が、いかに欺瞞に満ちた「タテマエ」であるかを体験した表現が印象に残る。
そして自分の「貧乏旅行」がアフリカのある国の人々からみれば「貧乏旅行者」ではないという現実のジレンマに悩むのである。
とにかく内容が新鮮であり、日本人の置かれた立場、経済援助国、ボランティア、そして旅行者として、日本および日本人を考える材料になる。
強烈に印象に残った描写は次のところ。
中国[ゴキブリ列車] 韓国、モンゴルを抜けて中国を南下し二カ月が過ぎた頃、私は四川省の省都、成都へと向かう列車の中で立ったまま朝を迎えた。誤って購入した切符のおかげで、ストレスと疲労に満ちた朝だった。乗り込んだ車両は寝台ではなく座席だったし、確保された座席などなく立ち席だった。満員列車に詰め込まれた荷物と人の海は、吐き捨てられたツバや食べカスと入り交って異様な悪臭を放っていた。人口超過の中国がそこにあった。 前日の昼過ぎに広州を出てから17時間。その間にカップラーメンを1つ食べ、1度だけトイレに行った。前の人、前の前の人、何人分かも分からない量の汚物が、水のない便器に山積していた。備え付けの棒でつついてみたところで、汚物はそう簡単には車外に落ちていかなかった。発展途上の中国を象徴するするような光景に、私は強い不快を感じた。やってきた食料配給ワゴンや車両やトイレに向かう人々が、何度となく私の足を踏みつけ、乗客を掻き分け通り過ぎた。私は口を閉ざし、吸い込む息の量を極力抑えて、壁伝いに歩き回るゴキブリの子供たちを見ていた。逃げ出したい気分だった。眼の前の現状と向き合うつもりも、その環境に順応する意思もなく、私は動かずじっとしていた。
水洗トイレしか使えない人、ゴキブリをみると動けなくなる人は、このような旅行は無理である、ということである。
旅じたくについては、
私は45リットルのバックパックの底に980円のシェラフを詰めた。3日分の着替えと洗面用具、パブロンとバッファリンと正露丸を入れた。それからタンポンとチョコラBB。口紅とアイシャドウと交通安全のお守りを用意した。パソコンとマイクとビデオカメラを買い揃え、小型のリュックに詰め込んだ。果物ナイフや針金と一緒に、ミッキーマウスのプリントがついた覆面も忍ばせた。そして、ジムで鍛えた両腕に四本の予防注射を打ち、体重を3キロ増やして日本を離れた。
そして、モンゴル、中国、チベット、ネパール、マレーシア、タイ、カンボジア、ミャンマー、インド、パキスタン、中国、キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタン、イラン、シリア、ヨルダン、イスラエル、イエメン、ジブチ、エチオピア、ケニア、ウガンダ、タンザニア、マラウイ、ザンビア、ジンバブエ、南アフリカ、ガーナ、トーゴ、ベナン、ニジェール、ブルキナファソ、セネガル、モーリタニア、西サハラ、モロッコ、ヨーロッパ、ポルトガル迄旅した。
昔から俗に言われる貧乏旅行記の元祖は、小田実の「何でもみてやろう」や沢木耕太郎の「深夜特急」が有名であるが、この本は女性一人旅の旅行記であることがユニークであり、草食系男性陣には及びもつかないバイタリティを感じる。その土地土地で出会った人々との関り合いを率直に書いていることと、特にアフリカにおける白人と有色系人との間ににある暗黙の差別観を感じるくだりは、総ての人種が平等であるという概念が、いかに欺瞞に満ちた「タテマエ」であるかを体験した表現が印象に残る。
そして自分の「貧乏旅行」がアフリカのある国の人々からみれば「貧乏旅行者」ではないという現実のジレンマに悩むのである。
とにかく内容が新鮮であり、日本人の置かれた立場、経済援助国、ボランティア、そして旅行者として、日本および日本人を考える材料になる。
強烈に印象に残った描写は次のところ。
中国[ゴキブリ列車] 韓国、モンゴルを抜けて中国を南下し二カ月が過ぎた頃、私は四川省の省都、成都へと向かう列車の中で立ったまま朝を迎えた。誤って購入した切符のおかげで、ストレスと疲労に満ちた朝だった。乗り込んだ車両は寝台ではなく座席だったし、確保された座席などなく立ち席だった。満員列車に詰め込まれた荷物と人の海は、吐き捨てられたツバや食べカスと入り交って異様な悪臭を放っていた。人口超過の中国がそこにあった。 前日の昼過ぎに広州を出てから17時間。その間にカップラーメンを1つ食べ、1度だけトイレに行った。前の人、前の前の人、何人分かも分からない量の汚物が、水のない便器に山積していた。備え付けの棒でつついてみたところで、汚物はそう簡単には車外に落ちていかなかった。発展途上の中国を象徴するするような光景に、私は強い不快を感じた。やってきた食料配給ワゴンや車両やトイレに向かう人々が、何度となく私の足を踏みつけ、乗客を掻き分け通り過ぎた。私は口を閉ざし、吸い込む息の量を極力抑えて、壁伝いに歩き回るゴキブリの子供たちを見ていた。逃げ出したい気分だった。眼の前の現状と向き合うつもりも、その環境に順応する意思もなく、私は動かずじっとしていた。
水洗トイレしか使えない人、ゴキブリをみると動けなくなる人は、このような旅行は無理である、ということである。
2010-08-29 12:59
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