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【東日本大震災】私の被災体験、徒歩帰宅 [自然災害]



 やっと少し落ち着いて、プログを書き込める状況となった。
筆者が体験した地は、宇都宮市。ビルの5階で仕事中に突然の揺れ。揺れが大きく、長時間にわたっていて、途中で停電。フロア内での実害はなかった。大規模震災であることが判明し、ただちに仕事中止、帰宅となった。さて、宇都宮駅に向かって歩いてゆくと、駅前の信号が点灯していなくて、警察官が交通整理をしていた。いやな予感。駅は封鎖状態で、復旧のメドが立たない。さて困ったが、帰宅方面にバスがあるが、途中までしか行けない。道は車であふれだし、信号は停電地区では、点灯していない。ここで途中まで歩いてゆき、バスが来れば乗ろうという作戦にした。歩き始めた時刻は、16時30分頃。家まで行くと約25キロある。これに備えるには、飲み物と若干の食糧を確保しようとしたが、停電地域のコンビニは休業になっている。道を急ぐと、停電を脱していた地域に入り込み、さっそくコンビニを探す。次の駅の近くまであるいてやっと見つけ、トイレと着替えを実施。登山用の下着を身に付けた。外の寒気で足が少し痛くなってきたところで、いいタイミングであった。コンビニは買い物客でにぎわい、レジには長蛇の列であったが、飲み物と食糧を確保できた。これで、徒歩帰宅を核心した。時に18時すぎであった。まだ、バス路線にもどればバスが動いているはずであるが、ここまで一度も目撃できなかった。道路は車で大渋滞であった。そのころ家族からのメールが届き、全員無事であることを確認。
 家まで14キロ地点で、関西旅行中の息子より電話あり。現状報告。その昔、尾瀬で山道を30キロ程、一緒に歩いたことを思い出し、大丈夫と応答。少し歩き、宇都宮を抜けると、そこからまた停電地域に突入。夜の道を歩いている人は、同じ方向に何人か、またすれ違う人もいる。暗闇の中にそのような人にあうと、何かタイムスリップして、江戸時代の旅人を連想してしまうが、現代はそのような郷愁をかき消すように、車のライトが道路を明るく照らして、現実に戻してくれる。停電となると、お店も、自販機も使えない。早めのコンビニでの飲料水、食糧確保は正解であった。もうひとつ、大谷石の塀の損傷が目立った。あの柔らかい石では、振動に耐えられなかったようだ。
 車はスムーズに流れ始めたが、携帯で家には連絡がつかないため、車で来てもらうことはあきらめ、徒歩続行。さすがに足の付け根が痛くなってきたが、なんとかだましながら歩行を続行。やっと毎日見慣れた風景にもどり無事帰還。時に21時50分。家についても停電のままで、念のため、今夜は近くの空き地に車を止め、車中泊となった。慣れない車中泊は、寒く疲れたが、徒歩帰宅の疲労でうつらうつらしつつ、翌朝を迎え、停電も解消されたため、やっと家に戻れた。

 日ごろのウオーキングが役立ったことや靴もウオーキングシューズであったこと、また服も下着は山歩き用であったことが、完遂できた要因であったと思う。しかし、この疲れは、土日に表れたが、昼寝でカバーした。

 当分はもういいかな、というのが率直な感想であった。もうひとつ、停電地域の夜空は、星座がくっきりとみえてきれいであった。尚、万歩計の歩数は、45,000歩を超えていた。
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