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シベリア抑留 「歴史的事実消えない」全抑協 [戦後処理]



 戦後66年経過しても、「シベリヤ抑留」という事件についての真相は明らかになっていない。国交がない時期は、一方的に当時のソ連が、受諾したポツダム宣言での終戦後の兵士の即時帰還という主旨を無視して、捕虜としてシベリヤをはじめとしてソ連各地に連行し、重労働に従事させたことになっている。
 そして、現在もその実数も60万人とも70万人ともいわれ、抑留中に亡くなった方の実数も6万名以上ともいわれているが、名前、埋葬地などの全貌がまだ不明である、という。戦後はまだ終わっていないのである。

 もうひとつ、何故ソ連が「抑留」という措置を行った原因が、日本側にもあるのでは、という疑惑がくすぶり続けているのである。決定的な証拠がソ連側の秘密文書から出てきたという話もあるが、要は、日本側が兵士の帰還に伴う交渉のテーブルの席で、多少の色気を出して、直ちに日本に帰還しても仕事がないから、満州、満州近郊での復興の仕事に従事させてもいいような文書が存在すというのである。
 そして、この真実を握っていたのが、山崎豊子の「不毛地帯」のモデル登場人物である、瀬島龍三である。しかし、生前瀬島は、このシベリア抑留への経緯については、明確な証言を一切していない。自分に不都合なことは、一切しゃべらないという評のある方であるから、当然で、抑留の真実は墓場にもっていってしまった。

 シベリヤ抑留者での生存者は、10%程になってしまった今、早急にあの事件の総括を行わなければならない。


◇ シベリア抑留解明 時間との闘い  ロシア資料で2097人判明 2万人なお不明


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