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福島第1原発:震災後の対応公表 注水とベント 連鎖的に事故深刻化 [原発事故]

福島第1原発:震災後の対応公表 連鎖的に事故深刻化
毎日新聞 2011年6月18日 23時31分

◇ 福島第1原発:震災後の対応ドキュメント
   毎日新聞 2011年6月18日 21時57分

 公表を控えていた地震直後から、15日頃まで、現場では何が起きて、何をしていたか、そして炉心溶融がどのような状況から、何時から発生したかの詳細状況が、少しずつ明らかになってきた。しかし、まだ100%の真実ではないとにらんでいる。まだ重要な事実を公表していないとみている。特に、この期間の放出放射線量、放射線種の正確な内容をまだ公表していない。
 とりあえず、この時点での詳細な発表事実は以下の記事内容に、1号機から3号機のメルトダウンの状況を加える。

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 東京電力は18日、福島第1原発事故の発生直後の対応状況についての調査結果を公表した。原子炉格納容器の圧力を抜く「ベント(排気)」や海水注入など、過酷事故を想定して策定した安全対策(アクシデントマネジメント)が機能せず、1号機原子炉建屋で3月12日に起きた水素爆発が、他号機の復旧作業の支障となり、連鎖的に事故が深刻化した様子が明らかになった。

 東電は、集めた証言やデータを基に、地震発生後の対応を号機ごとに時系列でまとめた。それによると、3月11日午後3時42分の全電源喪失から約1時間半後の午後5時12分、吉田昌郎発電所長がアクシデントマネジメントに沿って作業に入ったものの、さまざまな障害によって翌日午後2時半ごろまでベントに成功しなかったことが新たに判明した。

 1号機のベントに必要な図面は原子炉建屋から離れた事務本館にあった上、11日午後9時51分には建屋内の放射線量が上昇し入れなくなった。同11時50分ごろに格納容器の圧力が設計値を超えたため、翌12日午前0時6分、吉田所長がベント準備を指示。同午前1時半、菅直人首相の了承が得られたが、建屋内には煙のようなものが充満していて入れなかった。午前8時27分には、避難指示が出ていた地元・大熊町の一部住民の避難が済んでいないことが分かり、ベントを見合わせた。結局、ベント成功は午後2時半。1時間後の同3時36分には水素爆発が起きた。

 爆発により、隣接する2号機で注水やベント作業に当たっていた電源車が停止して再起動できず、3号機で14日起きた水素爆発でも消防車やホースが破損した。

 東電の松本純一原子力・立地本部長代理は「電源喪失に余震もあり、非常に厳しい作業。アクシデントマネジメントの想定をはるかに超えた事故だった。まとめるまでに3カ月以上かかったが、今後の事故対応の検証や説明に生かしていきたい」としている。【関東晋慈】

福島第1原発:震災後の対応ドキュメント

 東電が18日公表した調査結果のうち、1~3号機への注水とベントに関する経過は次の通り。

 ※黄色字は、時系列での政府発表内容

 ◇直後

 3月11日14時46分 地震発生。3、4号機の中央制御室はほこりで煙幕を張ったように真っ白になる。各号機で原子炉非常停止の作業。

 15時27分 津波の第1波到達。

 15時35分 津波の第2波到達。

 15時42分 1~6号機の全電源喪失。照明や表示灯が徐々に消える。2号機側の中央制御室は非常灯も消えて真っ暗に。水位計の電源も落ちる。計器類の復旧のため、構内からバッテリーやケーブルの収集を始める。長さ約200メートルのケーブルは重さ1トン以上。約40人の人力での敷設は、津波による水たまり、障害物散乱などのため難航。余震のたびに作業中断を繰り返した。

 ◇注水

 <1号機>

 11日15時37分 全電源喪失、原子力災害対策特別措置法10条に基づく通報

 16時36分 緊急炉心冷却装置(ECCS)による原子炉への注水ができない状況になる。

 17時12分 代替注水手段や、防火水槽を用いた消防車の使用の検討を開始。中央制御室の計器が電源喪失で使用できず、暗闇の原子炉建屋へ入る。

 21時19分 炉内の水位が燃料棒の頂部の20センチ上と確認。

 12日 0時 非常用復水器で原子炉蒸気を冷やしている。 

 0時半 原子炉格納容器圧力が設計上の上限値を超えている可能性があるため調査中

 1時48分 消防車からの注水を検討開始。消火栓からは水が噴出、別の水源を探す。消防車を1号機近くに配置するにも、移動が難航。ゲートも停電で開かない場所があり、道路の通行可能な場所のゲートのカギを壊し、1号機を目指す。防火水槽へ水を注入するたび、消防車のホースを抜かねばならず、注水はたびたび中断した。

 1時57分 タービン建屋内で放射線量が上がっている

 14時54分 吉田昌郎発電所長から海水注入の準備の指示。

 15時36分 原子炉建屋で水素爆発が発生、現場退避、海水注入のホースが損傷。がれきを片付け、ホースを探して再敷設。

 19時4分 海水注入を開始。

 <2号機>

 11日15時41分 全電源喪失。
 
 16時36分 緊急炉心冷却装置(ECCS)による原子炉への注水ができない状況になる。

 17時12分 代替注水手段や消防車の使用について検討を開始。代替注水ラインを構成するため暗闇の中、原子炉建屋とタービン建屋で残留熱除去系(原子炉の冷却システム)などの弁を手動で開け、原子炉圧力の減圧後に注水可能な状態にした。

 21時54分 水位計が復旧

 12日 0時 仮設電源により原子炉水位が確認でき水位は安定。

 3時33分  非常用の冷却設備のポンプ運転を確認

 15時36分 1号機で水素爆発が発生。飛散物でケーブルが損傷し、高圧電源車が自動停止。作業を中断し、全員が免震重要棟(作業拠点)へ退避。

 14日11時1分 3号機原子炉建屋で水素爆発。準備完了状態だった注水ラインは、消防車及びホースが破損して使用不可能に。

 16時ごろ 原子炉の圧力を下げるため、車両からバッテリーを集めて中央制御室に運び電源ケーブルをつないだが、バッテリーの電圧が不足。バッテリーを追加して複数の逃がし安全弁の動作を試みる。

 19時20分 海水を注入するための消防車が燃料切れで停止。

 19時54分 原子炉内に消防車による海水注入開始。

 <3号機>

 11日15時38分 全電源喪失。

 12日 0時 非常用の冷却設備で原子炉に注水

 11時36分 冷却システム停止。所内の消防車は1号機の海水注入に使用していたため、応援を要請するも到着せず。バッテリー不足で逃がし安全弁を動かせず。社員の通勤用自動車のバッテリーを外して集め、中央制御室に運んで計器盤につなぎ込んだ。

 13日9時25分 消防車による代替注水を開始。電源復旧作業を実施するが、度々の余震や劣悪な作業環境により思うように作業が進まず。

 10時半 (原子炉への)海水注入を視野に入れて動くとの吉田所長指示。

 13時12分 海水注入を開始。各所に消防車の応援要請を継続して行っていたが、構内の放射線量、汚染の問題や発電所までの道路状態が悪いことなどの理由により、発電所に直接向かうことができず。水源として、4号機タービン建屋の地下にたまった(津波による)海水を利用するため、タービン建屋大物搬入口のシャッターを破壊して消防車を入れて取水を試みるが、引くことができない。

 14日明け方 応援の消防車が到着。淡水源として要請していた自衛隊の給水車5トン(計7台)も到着。補給作業を開始する。

 11時1分 原子炉建屋で水素爆発。

 16時半ごろ 消防車による海水注入を再開。

 ◇ベント&炉心溶融
 ※5/16に発表された炉心溶融の内容を青字と赤字で加筆

 <1号機>

 11日 地震発生直後-----原子炉圧力容器に制御棒がすべて挿入され、原子炉が緊急停止。非常用ディーゼル発電機もS正常に稼働

 14時52分 非常用復水器が自動起動

 15時頃 復水器が停止。原子炉圧力の低下に伴い、手動で弁を閉鎖? その後、弁の開閉を繰り返した可能性

 15時35分 津波到達、全電源喪失

 16時36分以降、中央制御室で、ベントに必要な弁や位置を確認。

 17時50分頃 燃料棒露出

 18時10分 作業員が手動で弁を開き、復水器起動

 18時25分 手動で弁を閉じ、復水器停止

 18時50分頃 炉心溶融開始と推測

 ※その後、溶融した燃料が下部プレナムに移行した後、地震発生から約 15 時間後には、原子炉圧力容器の損傷に至った。(以上が東電発表内容)

 保安院は同じ状況を、3月11日17時頃(地震発生後約2時間)に燃料が露出し、その後1時間で炉心損傷が始まった結果となっている。圧力容器の破損時期は、東京電力の解析よりも早く、地震発生から約5時間後となっおり、原子炉格納容器圧力の挙動が実測と整合している、と発表している。

 21時半 手動で弁を開け、復水器起動

 21時51分 原子炉建屋の放射線量が上昇し、立ち入り禁止に。

 23時  タービン建屋内の放射線量が上昇。

 23時50分ごろ 格納容器圧力の上昇を確認。

 12日0時6分 吉田所長がベントの準備を指示。

 1時半ごろ ベント実施を首相、経済産業相、経済産業省原子力安全・保安院に申し入れ、了承を得る。東電本店から「あらゆる方策でベントしてほしい。午前3時に経産相と当社がベント実施を発表する。発表後にベントすること」との情報。

 1時48分 復水器に給するポンプの故障を確認。復水器停止。

 3時  格納容器内の圧力をベント(弁を開いて排気)で降下させる措置を行う予定

 3時45分ごろ 原子炉建屋の二重扉を開いたところ、白いもやもやが見え、閉鎖。

 4時  格納容器圧力がさらに上昇している可能性があるため調査中

 4時半ごろ 余震による津波の可能性から、現場操作の禁止を指示。線量がさらに上昇。

 8時3分 吉田所長から「1号機のベントは9時を目標」と指示。

 8時27分 大熊町の一部住民が避難できていないとの情報が届き、避難終了後にベントをすることで調整。

 9時3分 避難完了を確認。

 9時4分 第1班が懐中電灯を持って出発。手動で格納容器ベント弁を開く操作に着手。続いて第2班が圧力抑制プールの弁開放のため出発するが、線量が高く引き返す。作業を断念。

 10時4分 核燃料の一部が水面上に露出(マイナス0.5㍍)

 10時17分から3回、中央制御室で弁の開放操作をするが、開いたか不明。

 11時13分 ベントが開始されている模様(後にベント開始を「午前10時17分」と発表)

 11時20分 核燃料の一部が水面上に露出(マイナス0.9㍍)

 12時5分 核燃料の一部が水面上に露出(マイナス1.5㍍)

 12時半ごろ 弁開放に使う空気圧縮機「仮設コンプレッサー」を協力企業で発見、原子炉建屋付近に設置。

 14時 コンプレッサー起動。格納容器の圧力が低下。

 14時半ごろ ベント実施と判断。

 15時28分 核燃料の一部が水面上に露出(マイナス1.7㍍)

 15時36分ごろ 大きな音があり白煙が発生(水素爆発)

 <2号機>

 11日16時36分 緊急炉心冷却装置による注水が不能と判断。

 23時25分 計器類の復旧により、格納容器の圧力が判明。

 12日1時半ごろ 1、2号機のベント実施を首相、経済産業相、原子力安全・保安院に申し入れ、了解を得る。

 17時半 ベント操作の準備を開始するよう吉田所長が指示。

 13日(時間不明) 格納容器ベント弁を手動で開くため、当直員が原子炉建屋に出発。

 10時15分 ベントを実施するよう吉田所長指示。

 14日11時1分 3号機原子炉建屋で水素爆発。圧力抑制プールのベント弁につながる回路が外れ、閉まる。当直員を除く作業員は、免震重要棟に退避。

 16時20分 圧力抑制プールベント弁を開く操作をしたが、コンプレッサーからの空気が十分でなく操作できず。

 18時25分頃 燃料が露出

 20時25分頃 炉心損傷が始まったと推定

 ※その後、原子炉水位が燃料域内において維持できていないとして代替注水の流量を想定し、崩壊熱により炉心溶融し、溶融した燃料が下部プレナムに移行した後、地震発生から 109 時間後には、原子炉圧力の損傷に至ったとしている。(以上が東電発表)

 保安院のクロスチェックでは、14日18時頃(地震発生後約 75 時間)で燃料が露出し、その後2時間で炉心損傷が始まった結果となっている。原子炉圧力容器の破損時期は、東京電力の解析よりも早く、地震発生から約5時間後となっており、原子炉格納容器圧力の挙動が実測と整合している、と発表している。

 21時ごろ 圧力抑制プールベント弁を開く操作。

 21時20分 逃がし安全弁を二つ開き、原子炉水位の回復を確認。

 15日0時2分 格納容器ベント弁を開く操作。

 6時~6時10分ごろ 圧力抑制プール付近で爆発音が発生。応急復旧作業に必要な要員を除き、一時的に福島第2原発へ避難。

 <3号機>

 12日17時半 格納容器ベントの準備を開始するよう吉田所長指示。

 13日 2時42分から約4時間(地震発生後約40時間)で燃料が露出

 8時40分頃 炉心損傷が始まったと推定

  ※その後、原子炉水位が燃料域内において維持できないとして代替注水の流量を想定し、崩壊熱により炉心溶融し、溶融した燃料が下部プレナムに移行した後、地震発生から約 66 時間後には、原子炉圧力容器の損傷に至ったとしている。(以上 東電発表)

 保安院のクロスチェックでは、13日 8 時頃(地震発生後約 41 時間)に燃料が露出し、その後3時間で炉心溶融が始まった結果となっている。原子炉圧力容器の破損時期は、地震発生から約 79 時間となっている 。

 13日8時41分 ベント開始。

 9時24分 格納容器の圧力が減圧されたことを確認、同20分ごろにベントが実施されたと判断。

 14時31分ごろ 原子炉建屋二重扉北側で毎時300ミリシーベルト以上(中は白いもやもや状態)。

 15時28分 中央制御室の線量が毎時12ミリシーベルトとなり、当直員は4号機中央制御室側に退避。

欧米中心に129万人分 セガの個人情報流出 ゲーム業界狙い撃ちか! [事件]

欧米中心に129万人分 セガの個人情報流出
産経ニュース 2011.6.19 11:25

 ゲームソフト大手のセガ(東京)は19日、欧州子会社「セガヨーロッパ」(ロンドン)が運営する英語圏向けサイトから顧客情報が流出した問題で、不正アクセスで漏れた個人情報は、登録していたすべての会員延べ129万755人分だったと発表した。欧米地域の利用者が中心としている。

 ゲーム業界では不正アクセス被害が相次いでいる。129万人超の流出は、最近ではソニーの最大約1億人に次ぐ規模とみられる。

 不正アクセスを受けたのは、顧客に製品情報のメール配信などを行っている「セガパス」のサイト。会員の名前や生年月日、メールアドレス、暗号化されたパスワードが流出した。クレジットカード情報は含まれていないという。

 セガは同日、個人情報流出問題を正式に発表し、「このような事態を招いたことを厳粛に反省している。セキュリティー強化を最重要課題として取り組み、信頼回復に努める」とのコメントを出した。
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 何故がゲーム業界のサーバーが狙われ、侵入成功の証として、個人情報を盗み出している。一体何が目的なのだろう。暇な輩がいるものだ。

◇ セガも個人情報流出 欧州子会社で「規模不明」

◇ ソニー情報流出 不正侵入容疑で3人逮捕 国際ハッカー集団か スペイン警察 

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 正面からの笑顔のポーズ写真。個人的には左後ろの方もかなりの美系とみた。

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