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66回目の終戦記念日、震災からの再生誓う 菅首相、何故人災と天災の被害を同次元で論じるのだ、全く違う次元の問題だろう [警鐘]



 ここ一、二週間内の国内の恒例イベントは、広島、長崎への原爆投下日と今日15日の終戦の日(=敗戦受諾日=日帝崩壊の日)である。これらは、すべて、人が起こし、その報復として人に仕掛けられた他国からの暴力(=人災)である戦災であり、原因は人災である。しかし、3.11の地震と津波は違う。これは、天災である。
 戦災は、起こした原因が人にあり、防ごうと思えば防げたものである。自然災害は、防ごうと思っても、人が考える以上のエネルギーを放出された場合には、どうにも誰にも止められない。原発災害も人災であり、防ぐ対策を真摯に行っていたならば、防げたはず。安全神話などなかったはずである。

 話を元に戻す。全く違う次元の事象を結果の姿だけを見て、同じように論じる意図がわからないのである。
人災は、それを引き起こした責任者が必ず存在するのである。天災には人智を超えた動きがあった場合には、誰にも止められないし、責任者など存在しない。

 気になるのは、地震災害も津波災害も、原発災害も、すべて一緒くたにして、起きたことはしかたがない、みんなで費用を負担して復興しよう、というキャンペーンをはって、原発事故の人災責任、深刻さを拡散しとうとしか考えられないのである。

 先の太平洋戦争の引き起こした責任者探しは、いつのまにか〝一億総懺悔〟の言葉にすり替えられた。今回の震災についても、日本国民全員で支援するのだから、消費税率のアップはしかたがないとの世論形成を狙っている。原発事故に伴う原発停止に関しては、火力電力等での電力は、コストが高くなると宣伝して、電気利用料金の値上げと原発再稼働への布石、停電脅しをしきりにアナウンスしている。

 戦災は、何故あのような被害をこうむったかの原因を徹底的に追及し、二度と引き起こさないようにするための何をすべきかのイベントにするべきである。

 天災は、同じ轍を踏まないための反省と次に発生した場合の命を救うためのフォーメションを見出し、訓練しておくしかない。

 事後の風景だけをみて同次元で論じる姿勢は全くおかしい。

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