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ウィーバーが16歳対決を制して、女子個人総合で優勝、鶴見15位、田中20位、世界体操 [美女アスリート]



 女子体操の低年齢化が凄まじい。女子フィギュアであれば、ジュニアの年齢でも体操界には年齢制限がないらしい。小さいうちから筋肉を鍛えすぎると、身長が伸びなくなるという。しかし、アクロバット的な動きは年齢の若い世代しかできないのか。中国の曲芸団みたいな演技のどこがいいのだろう。
 その中で、田中理恵の存在はおおきい。別の記事で書く。
田中理恵の流れは、その昔、今回来日している東京五輪の華、ベラ・チャスラフスカ選手の演技の流れを引いている。女性美を生かした演技である。田中は、前回の世界選手権では、最も美しい演技で観客を魅了した選手に贈られる『ロンジン・エレガンス賞』を受賞している。

 ベラ・チャスラフフスカは、東京五輪での活躍、個人総合・跳馬・平均台で金、団体で銀メダル獲得で、「オリンピックの名花」、「体操の華」と呼ばれ、美女アスリートだけの称号だけで終わらなかった。次回のメキシコ五輪で真の強靭な精神を持つ名花であることを世界にアピールした。時は、1968年、当時のソ連は当時のチェコスロバキアの自由化阻止のため戦車でプラハに侵攻するという、政治行動を実行した。チェコスロバキアが自由主義陣営に近づくことを阻止するためだった。あからさまな内政干渉を堂々と、軍事力をもって脅しをかけたのである。まるでヤクザの世界とおなじ。現在でいえば、中国がチベット地区の独立をなにがなんでも阻止する動きにでている行動と同じである。

 さて、チャスラフスカである。彼女は毅然とソ連の行動を批判し、五輪の出場も危ぶまれたのである。それでも何とか、出場し、当時の体操界の勢力図は、ソ連とチェコスロバキアが競っていた。そして、メキシコ五輪の女子体操の結果は、個人総合・跳馬・段違い平行棒・ゆかで金、団体・平均台で銀メダルを獲得し、ソ連を圧倒したのである。この活躍に喝さいが贈られたと同時に、おもしろくないソ連は以後、チャフラスカに行動制限をかけ、20年以上不遇のままにおかれた。ゆえに、メキシコ五輪後の世界大会での活躍はなく、1989年のビロード革命による共産党政権の崩壊で、やっと復権したのである。
 新政権樹立後、彼女はハベル大統領のアドバイザー及びチェコ・日本協会の名誉総裁に就任した。大統領府を辞した後には、チェコオリンピック委員会の総裁も務めている。

 尚、東京五輪参加時、22歳、メキシコ五輪時は26歳であった。体操の演技は、優美で優雅であった。

予行演習でも笑顔は本気!ミス・ベネズエラ選考会 [美女]



 笑顔がまぶしいミス・ベネズエラ選考会。笑顔の裏は激しい戦いが繰り広げられる。何名参加して何名が予選を通過するのかわからないが、レベルは高そうである。

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