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チリの火山灰、地球を一周 火山灰は地球を一周して、同国首都サンティアゴ(Santiago)の南1600キロメートル付近に到達 [自然災害]



 自然の力は物凄い。火山灰を地球一周させてしまうということは、東電福島第一原発から放出された放射能は地球を何周もして、世界中にまき散らしていることになる。
 チリの火山灰は気象にどのような影響を与えるのか非常に興味深い。また地震との関係も注目である。次は北半球の太平洋岸か東南アジア周辺で起きる可能性が大である。

 

チリ南部の火山が半世紀ぶりに噴火、3500人避難 [自然災害]



 これも環太平洋に連なる地域の地殻変動のひとつなのだろう。火山噴火と地震が微妙に連動しているから不気味である。次は、この環太平洋地域のどこかで大地震が発生するのだろうか。

これだけある巨大地震の前兆 [自然災害]

これだけある巨大地震の前兆2011年5月28日(土)10時0分配信 日刊ゲンダイ 

 確かに余震は続いている。これは、三陸沖大地震の収束なのか、またまた更なる巨大地震の前兆なのだろうか。素人には、余震だろうが、本震だろうが、用心して安全な行動をとる以外にない。懸念は、余震の震源地が、福島第一原発付近であること。先の地震で被害を受け、40年以上経過したプラント施設が巨大地震に耐えられかが、心配である。壊滅的な被害を受け、汚染水のダダ漏れが続くようでは、収拾がつかなくなるだろう。
 さらに、専門家は不気味な観測結果を公表しているのである。

記事の中で次のように述べている。
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 京都大学防災研究所・地震予知研究センターの遠田晋次准教授はこう言う。

「3月11日の大震災の場合、本震の約30分後に茨城県沖で起きたM7.7(気象庁)が、最大余震といわれています。地震学の統計的経験則からみると余震は本震よりM1小さいものが起きるとされています。今回はM9.0の余震ですから、M8程度の大きさは考えられ、茨城より大きい地震が起こる可能性はある。時間が経つにつれ確率は小さくなるとはいえ、起きた場合の規模は変わりません」

 巨大地震によりプレートがずれ、ゆっくり滑る“余効滑り”によって起こる地震が懸念されている。

「地震による余効滑りは、最大のところでこの2カ月で1メートル動いています。プレートがくっついていた地震前の状態には戻っていないどころか、まだ、本震のときと同じ方向に滑り続けています。3月11日の地震では南北に断層ができた。その延長線上、すなわち青森東側や千葉にひずみが伝播(でんぱ)している可能性があり、数カ月後に地震が起きるかも知れません」(遠田晋次氏)

 国土地理院の「地震後の地殻変動と滑り量のまとめ」によれば、地震後約2カ月経った5月12日現在で、銚子沖の推定滑り量は約77センチだ。ゆっくり滑っているが、滑り量をマグニチュードに直せば8.42のエネルギーになる。
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この〝余効滑り〟の推移には要注意である。

◇ 米研究グループ「大地震の恐れ」 茨城沖、ひずみ蓄積か [警鐘]

安らぎ求めたアイスランド旅行が一転、火山噴火で日本人ツアー足止め 地震は大丈夫か? [自然災害]



 ものすごい火山噴火のようだ。噴火と地震、大いに関係がありそうで大地震の警戒は怠るな。日本では九州の霧島岳噴火後、2カ月余りで、三陸沖大地震が発生した。日本付近でなくても次々と地殻のひずみが地震を誘発するらしい。

スペイン南部でM5.1の地震、8人死亡 [自然災害]



 ヨーロッパには地震はないと思っていたら、やはりあるのだ。プレートの境目が、どのくらいの距離にあるのかによって地震の規模が違ってくる。また、記事内容からすると直下型の地震のようで、活断層でのあるのだろうか。どこにいても油断してはいけないようだ。

【津波】東日本大震災から1か月、被災地のいま [自然災害]



 津波被害の凄まじさが、まだ写真からわかる。復興、がんばれとかの言葉が躍っているが、被災された方々の希望をつなぐには、仕事、住居の斡旋が最も優先度が高いだろう。そして、町を復興するにしても、〝津波災害〟とどう向き合うか真剣に取り組む必要があるだろう。過去の津波災害の歴史を顧みるまでもなく、必ず、津波は発生する。そのときの被害を最小限に食い止めるための方策を十二分に考慮する必要がある。それには、今回の津波の動きを徹底的に分析して、可能な対応策を講じるべきである。
 災害は忘れたころやってくる。



津波災害――減災社会を築く (岩波新書)

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三陸海岸大津波 (文春文庫)

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津波てんでんこ―近代日本の津波史

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津波から生き残る―その時までに知ってほしいこと

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  • 出版社/メーカー: 土木学会
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超巨大地震がやってきた―スマトラ沖地震津波に学べ

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【東日本大震災】余震10年続く恐れ指摘 米地質調査所の研究者 [自然災害]

  • GENNKIKAIGENNKIKAI【東日本大震災】余震10年続く恐れ指摘 米地質調査所の研究者 - MSN産経ニュース http://t.co/UfW55NP 毎日のこの揺れが10年間も続くのかと思うと憂鬱になるな。まるで船に乗っているようで、大波にあうと大きく揺れる。04/12 11:51

「ここは地獄。在宅避難民に食料届かない」“第二の故郷”宮城を取材して [自然災害]



 今回の震災被害は、避難民を直接生み出した地域はマスコミに取り上げられ、支援物資を届くようになってきたが、ほんとうに困っているのは、その周辺住む在宅の被災者である。東北三県の状況は、マスコミで報道され支援の手も差し伸べられているが、茨城県の被災地はほとんど取り上げられない。納豆がスーパーの店頭に並ばないことで、やっと毎日新聞は4月3日付の朝刊の社会面で取り上げていた。そのほか、インク、本用の紙を製造していた工場が操業停止に追い込まれ、品不足が発生するとの予測がある。自動車、精密機械の工場だけではないのである。
 しかし、それにもまして重要なことはそこで生活している人々の毎日の糧を支援することである。在宅避難の方々にも行政は目を向けるべきである。

 「ここは地獄。在宅避難民には、食料が届かない。津波から助かっても、寒さと飢えで死んでしまう。そういうことを、あんたたちが報道してくれないと。来るのが遅い」

 この叫びをどう聞く。

3000人の村の堤防があの津波をはね返した 岩手県普代村の奇跡 [自然災害]

 悲惨な状況を招いたあの大津波であるが、想定外の大津波を受けながら、全く無傷だった三陸海岸沿いの村が岩手県にあるという。マスコミは避難にあった地域のみを報道しているが、この普代村のことはNHKをはじめとして、全く報じていない。筆者も日刊ゲンダイの記事でみた。この際全文を掲載する。そして、公共事業の意味と政治家、特に行政の長にあたるもの意識とはなにかを考えさせた記事であった。

 岩手県普代村の奇跡 
 これが公共事業だ    死者ゼロ、住宅の被害もなし

 高さは共に15.5メートル。東北一の「防潮堤と水門」が村を救った。岩手・三陸海岸の北部にある普代[ふだい]村。漁業が盛んな人口約3000人の村だが、11日午後3時半過ぎ、巨大な津波が襲いかかった。
 「高台から見ていましたが、津波がものすごい勢いで港に押し寄せ、漁船や加工工場を一気に飲み込みました。バリバリという激しい音がして、防潮堤に激突。みな祈るように見ていましたが、波は1㍍ほど乗り越えただけで、約1000世帯が住む集落までは来ませんでした」(普代村漁協・太田紀彦氏)
 津波が来る前に、港に船を見に行った男性が行く不明になっているが、防潮堤の内側にいた人の被害はゼロ。住宅への被害も一切なかった。高さ15.5㍍、全長130㍍の「防潮堤」が、村人の命を救ったのだ。村の北側には、同じ高さの水門(全長200㍍)があるが、こちらも川を勢いよく上がってきた津波をほぼはね返し、小学校を守ったという。
 普代村の隣、田野畑村(人口約4000人)には、高さ8㍍の防潮堤が2つあるが、津波を抑えられず、死者・行方不明者40人、全半壊533戸の被害が出ている。〝高さ15.5㍍〟の防御力は絶大だが、なぜ普代村に2つも造られたのか?
 「防潮堤は1970年に約6000万円(当時)をかけて造った。水門は35億円(同)で、84年に完成しました。普代村は1896年の明治三陸大津波で1010人の死者・行方不明者が出た。1933年の津波でも約600人が死傷しました。戦後、和村幸徳村長が
 『2度あることは3度あってはいかん』
と県にひたすらお願いし、建設の運びとなった。かなりの費用がかかるので、当時は『他のことに使えばいいのに』『ここまで高さは必要なの?』といった批判もたくさん受けましたよ(苦笑)。きっと今は天国でホットされているのではないでしょうか」(村役場住民課・三船雄三氏)

 村ではボロボロに壊れた漁港や養殖場の修復作業が進められているが、一方で、堤防に手を合わせたり、故・和村村長の墓に線香を供える人が絶えないという。


◆ 特報:岩手県普代村は浸水被害ゼロ、水門が効果を発揮

【東北関東大震災】大船渡で津波の高さは23メートルだった [自然災害]



 すさまじい津波エネルギーが大船渡市を襲ったことによる。これでは、逃げ遅れた人はもちろん、安全といわれる場所に居た人々も飲み込んでしまったのだろう。
 自然現象は人間の想像をこえる現象を起こすことをまざまざと見せつけた。行く不明者の早期発見を祈るばかりである。



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