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【大相撲改革】大相撲はスポーツか、文化遺産なのか [スポーツ]



 今回の「八百長騒動」とは、別に相撲協会の改革案、ガバナンス(組織の統治)の整備に関する改革案が17日に発表された。根本問題は、現在の相撲競技とは何かという視点である。その定義が「あいまい」なまま単なる財団法人を隠れ蓑にした利益追求団体になっていたにすぎないのではないのか。相撲競技の位置づけをどう考えるかについて、改革案では、次のように提言している。

〝関取(十両以上)とのプロスポーツ契約の必要性を強調。その一方で幕下以下の力士養成員を研修生と位置づけ、採用・育成活動の費用を協会が負担する。
▽育成期間に期限を設ける▽育成の成果が出ず、引退する者には協会が就労支援する-などを提言している〟

 今回の答申の画期的な提言は、「プロスポーツ契約」であると思う。他のスポーツでは、必ず存在するものが相撲界になかったのが不思議であった。昔からの慣例でのみ組織秩序を維持してきたのである。

 さて本題に戻る。相撲競技とは何かという命題である。大相撲はプロスポーツのひとつであり、興行で成り立っている種目である。しかし、その運営形態は、相撲部屋に入らない限り土俵にあがることができないという閉鎖性を持ち合わせている。そして、相撲競技の勝ち負けが報酬に直結する仕組みは、プロスポーツを立証するなにものでもない。しかし、報酬が十両以上の関取とそれ以下の力士での待遇格差が歴然としている点は、利点でもあり、八百長を生む欠点でもある。待遇格差は野球の世界であればアメリカにもメジャーとマイナーとの間に歴然とした差がある。この制度自体は悪くない。問題は、力士同士の互助会相撲に陥る危険性をはらんでいることだろう。度の力士も、十両以下に落ちたくない心理が働く。これをなくす一つの案は、場所ごとの勝敗による賞金・報奨金の上位成績者からの分配金の比重を高めるやり方であると思う。ゴルフ競技と似ている。場所ごとや年間勝敗でもいい。この比率を高めることがいい思うのだが、もちろん単なる勝ち負けではなく、勝ち星にも、地位(番付)の上下による比重をかけ、ポイントを算出するようにする。通常のプロスポーツ競技のように勝敗結果を報酬に反映させる比率を高めることにする。
 そこで残るのが微妙な取り組みに対する裁定である。これは第3者の監察機関の設置で、防止を図る。1回目注意、2回目退場、即休場の措置とする。
 以上は、競技としての改革試案であるが、所属部屋と力士の関係、十両以下の力士の扱いが課題となる。

 さて、相撲を文化遺産とみるならば、歌舞伎興行と同じようにすればいいのである。力士は役者、様式美を売ものするのである。伝統文化の継承、日本固有の文化遺産と銘打って、海外に打って出るのである。何も日本国内だけの興行にこだわる必要はない。ある面、このような生き方のほうがあっているのではないのか。何も、欧米からの受け売りである、フェアープレー精神などにこだわる必要もない。ショービジネスであるから、なんでもありの面白い興行団体になると思う。文科省の保護などいらない。自立すればいい。この路線であれば、八百長も問題ないが、現在の人員数は必要なく、適正規模の議論が課題となってくる。

 いずれにしても、大幅な考え方の抜本的な改革が必要な時期に来ていることは間違いない。

今回の改革案の中では、協会理事ノメンバー構成、協会の組織機構の再編についても言及している。そして最終章では、

〝協会は何か不祥事が発生するたびにその道の専門家や有識者を集めた委員会などを作り、そこにすべてを投げすることによって問題に対処してきた」と厳しく指摘し、組織としての自立を促している。〟


 
 
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