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新刊本 松井秀喜著「信念を貫く」を読んで [書評]

 MLBではまだオープン戦中であり、注目のカードであるマリナーズvsエンゼルスもあった。イチロー、松井両選手とも先発出場して、二人ともヒットを記録するなど、開幕が待たれる。

 さて、先日、松井選手の最新本が出版された。わかりやすい表現が多いので、一気に読めてしまった。
内容は、エンゼルス移籍での舞台裏の話を紹介するとともに、ヤンキース時代の3年連続しての、左手首、両膝の怪我で戦線離脱をせざるをえなかった時期の心境もつづっている。そしてプロ野球選手としての自分の信念を明確に宣言しているのであった。

 昨年の今頃は、松井選手のMLBでの選手生命は、怪我のために昨シーズンをもって終了するかもしれないと思っていた。しかしながら、シーズン後半の活躍とポストシーズンでの大活躍には驚くとともに、やっと松井の本領を発揮でき、エンゼルスへの移籍とつながった。

 この本のなかで、打撃についてつぎのような説明があった。

 打撃に関して、僕は心がけていることが2つあります。ひとつは、ボールを正確にとらえること。もうひとつは、ボールを自分のスイングで強く打つことです。
 この2つは相反することなのですが、ボールをできるだけ自分の手元まで呼び込んでスイングするほど、強く、正確にとらえる確率は上がる気がします。
 そのために重要だと考えているのが「間」です。投手の投げたボールを打ちにいくまでの「間」は、長ければ長いほどよい。僕の場合、調子がよいときほど、投手の投げたボールを長く見ていられる感覚になります。
 ボールを長く見るためにも、軸足である左足にしっかり体重を乗せることが大切だと考えていますが、シーズン序盤はそれが思うようにできませんでした。
(略)
 膝の状態は一進一退でしたが、09年の8月中旬に取り入れた神経筋無痛療法という新感覚のトレーニング(神経・筋肉・関節の運動性を高めると同時に正常化させる)や治療の効果もあって、それ以降は悪くなりませんでした。そして打撃の状態も悪くないまま、プレーオフに突入したのです。
(略)
 そして、ワールドシリーズ第6戦を迎えました。フィリーズとの対戦成績は、そこまで3勝2敗。この試合に勝てば世界一です。
(略)
 さいわい、左膝や打撃の状態はよく、地区シリーズから、打席でボールを長く見ていられる感覚は続いていました。つまり、「間」を十分に取れている状態でした。相手と対戦する以前に、自分の力を発揮できる状態にあったといえます。
(略)
 0対0で迎えた2回裏、走者を一塁に置いたこの打席で、僕は本塁打をうちました。フルカウントからの8球目をフルスイングしたのですが、この8球の攻防の中に、ワールドシリーズでMVPを獲得することができたポイントが集約されていたような気がします。
 それは、失投を逃さないことです。8球目はまさにど真ん中に入ってきたストレートでした。おそれくマルチネス投手の失投でしょう。
 野球には「偶然」と「必然」があると思います。
 例えば、ワールドシリーズ第3戦、8回表にマイヤーズ投手から打った代打本塁打は「偶然」が重なった産物だったといえます。(略)
 球種、コース、球質がたまたまそうであったため、結果として左翼へ本塁打することができたのです。
 けれども、第6戦第1打席のマルチネス投手の8球目を本塁打することができたのは「必然」です。なにしろ、ど真ん中に入ってきたストレートでしたから。失投ではありましたが、失投をひと振りで仕留めるには、正確で、なおかつ強いスイングが必要なことはいうまでもありません。
 投手の技量が上がれば上がるほど、失投は少なくなります。マルチネス投手のような1流ピッチャーであれば、1試合に数えるほどしかありません。そのうち1球を確実にとらえることができるかどうかは、打者の技量しだいだと思います。


 以上、「第1章 決して忘れない一日」より。

 後半戦及びポストシーズンでの活躍の秘密がここにあったのである。
そのほかの章も興味ある話が満載であった。興味のある方は是非ご一読を。


信念を貫く (新潮新書)

信念を貫く (新潮新書)

  • 作者: 松井 秀喜
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/03
  • メディア: 新書





読書週間には「戦争」の本 [書評]

 読書週間には堅い内容の本が似合う。このテーマについてはある結論をもっているため、その検証のために関係本を読む。世の中の現象なんてそんな難しい理屈はないのである。単純な論理で成り立っていると思っている。何故、民主党の政権交代が実現したか。自民党が”ヘマ”をしたからである。かつ、”ヘマ”と認めようとしなっかたから愛想がつきた。それだけだ。何故、日本が経済不況に陥ったか。アメリカ経済が沈没したからである。以前の好況のように見えた現象は輸出企業が全体のGDPを押し上げていただけなのだ。アメリカの借金前提の過剰消費社会の地で商売していて、借金が成り立つ条件が崩壊したため、金融収縮が起きた。その影響をもろに輸出企業、アメリカに進出して現地操業していた企業が、経済破綻津波を受けたのである。金融工学のウソがばれたことは非常に喜ばしいが、これに飽きずにいまだ怪しい金融商品を乱発している。アメリカにだまされるな。

 さて本題に入る。1冊目は、保坂正康著の「あの戦争は何だったのか 大人のための歴史教科書」である。著者はまず問いかける。

 「太平洋戦争とはいったい何だったのか」、戦後60年(今年で64年)の月日が流れたわけだが、未だに我々日本人はこの問いにきちんとした答えを出していないように思う。

の書き出しで始まる。翻って、我々はこの戦争について詳細な知識を身につける機会がなかったように思う。あえて学校では教えようとしなっかたようにも思える。何か権力者側に都合が悪いことがあるのではないかとずーと考えていた。歴史上では確かに日本国としては、あの戦争に関する総括をしていない。事実としてあるのは、東京裁判での結果とサンフランシスコ講和条約であり、外圧からの総括であった。

 この本のあとがきで著者はこの本の意図することとして、引用すると

 太平洋戦争を正邪でみるのでなく、この戦争のプロセスにひそんでいるこの国の体質を問い、私たちの社会観、人生観の不透明な部分に切り込んでみようというのが本書を著した理由である。あの戦争の中に、私たちの国に欠けているものの何かがそのまま凝縮されている。そのことを見つめてみたいと私は思っているのだ。その何かは戦争というプロジェクトだけではなく、戦後社会にあっても見られるだけでなく、今なお現実の姿として指摘できるのでは」ないか。

 意味深い文章である。もっと詳しく知りたい方は是非一読を。

あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書 (新潮新書)

あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書 (新潮新書)

  • 作者: 保阪 正康
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/07
  • メディア: 新書


 次が今読んでいる本の紹介。半藤一利著の「ノモンハンの夏」である。司馬遼太郎が作品化の構想をもっていたが、遂に実現しなかった近世史上最大の謎の“戦争”である。歴史上は「ノモンハン事件」とだけ記して、当局は詳細を明らかにしようとしない“戦争”である。これを本したもので、やっと信頼できる作家の作品にめぐりあった。

ノモンハンの夏 (文春文庫)

ノモンハンの夏 (文春文庫)

  • 作者: 半藤 一利
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2001/06
  • メディア: 文庫


 最後は次に読もうとしている本である。近代史の学者、加藤陽子著の「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」である。理由は昨日のテレビ番組で戦争について語っているのを観たからである。印象的であったのは、政府はあらゆる手段を用いて、国民を洗脳し、事を正当化しようと行動することに、最も注意しなければならない、ということ。酒井某の放送垂れ流し現象、少しおかしくないのか。その時刻に我が国の首相の所信表明演説をしていたのだ。テレビのことは後で語る。

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

  • 作者: 加藤陽子
  • 出版社/メーカー: 朝日出版社
  • 発売日: 2009/07/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


次回は違うテーマで!


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