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英軍、イラクから撤収 海軍の訓練任務を終える  イラク戦争は何だったのだ [海外]



 改めて考えてみると、あのイラク侵攻作戦は何だったのだ。〝核破壊兵器を隠し持っている〟からけしからんと9.11の真実から米国民の目を反らすためと、軍需産業界の圧力で始めた戦争であった。侵攻してみて、何もないことがわかると混乱だけを残して撤退。自分勝手な軍事行動を平気でやるのが、米軍。それに即賛同して、英国は軍隊を派遣。派遣決めた首相は、とっくに失脚して、軍だけが取り残された構図となっていたのだ。
 改めて問いたい、米国の言う〝正義〟とは何なのだ。

【放射能漏れ】女川原発は 紙一重で無事だった [原発事故]

 東日本大震災に遭遇した原発は、東北電力の東通原発(青森)1基、同じく東北電力の女川原発(宮城)3基、福島第一原発6基、福島原発4基、日本原子力発電所の東海第二原発(茨城)1基である。それぞれ何らかの被害を受けたが、致命的な事故を引き起こした原発は、ご存じ福島第一原発であった。一体、何が違って明暗を分けたのか、不思議であったが、やっとその糸口を解く解説記事が掲載された。

◇ 福島第1原発:女川 紙一重の無事
  毎日新聞 2011年5月19日 2時30分

 この記事は女川原発の状況を中心に記事にしているが、福島第2原発、東海第2原発についても対応状況を簡単に記しているが、東通原発も含めて、もう少し掘り下げたい。

☆東通原発(青森)
 東北地方太平洋沖地震の影響 震度は5強、津波の高さは2.6m、三沢付近で8.3mを記録。

 2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震では、稼働中の1号機が2月6日より定期検査中のため運転をしておらず大きな影響は無かった。又地震後、むつ幹線および東北白糠線が停止したため、外部からの電源供給が停止したが、非常用ディーゼル発電機が作動し電源供給が可能な状態となった。

東京電力は、2011年1月に着工を開始した1号炉について、地震後、工事を当面見合わせると発表した。

 4月7日の余震では、外部電源が使用不能となり、燃料プールの冷却ができなくなった。26分後、非常用発電機3台のうち、点検中だった2台を除く1台が起動して冷却を継続したが、外部電源復旧後、この1台から燃料漏れがみつかり、使用不能となった。

 5月2日、東京電力は建設中の1号機について、本地震の教訓を踏まえ、津波対策の強化と非常用発電機の増設、大容量化を検討している旨を発表した。



◇東海第二原発(茨城)
東北地方太平洋沖地震の影響 震度は6強、津波の高さは5.4mを記録。

  日本原電によると、東海第二原発は3月11日の地震直後に停電した。このため非常用発電機3台が動き始め、非常用炉心冷却システム(2系統)が起動した。しかし地震から約30分後に高さ5.4メートルの津波が襲い、その影響で命綱の発電機のうち1台が停止。非常用炉心冷却システムも1系統が使えなくなった。

 こうした状況から冷却が十分進まず、地震から7時間後の時点で、原子炉内の水温は二百数十度、圧力は約67気圧。通常の運転時とほとんど変わらない状態だった。水温を下げるために注水すると水蒸気が発生して圧力が高まる。この圧力を下げるために水蒸気を格納容器内に逃がす弁の操作にも迫られた。

 同様に被災した東北電力女川原発(宮城県)は12日午前1時ごろに安定的な停止状態になった。しかし、東海第二原発の炉内の圧力は午前2時前でも約58気圧と高い状態だった。さらに午前3時ごろには約60気圧に再上昇。注水と逃し弁の開閉の繰り返しで、燃料が露出するようなことはなかったものの炉内の水位も70センチほど変動した。

 急激な温度変化は炉本体の損傷につながるような恐れもある。水温と圧力、水位の変動などを見極めながらの作業が続いた。14日午前に外部電源が復旧、深夜には止まっていた非常用炉心冷却システムもふたたび動き、炉内の水温が100度未満になる「冷温停止」の状態に至った。この間、通常の2倍以上の時間がかかったという。

 原発事故に詳しい社会技術システム安全研究所の田辺文也所長は「非常用電源が一部使えないなか、細心の注意を払う作業が続いていただろう」と話す。

 日本原電は震災を受け電源車を配備、非常用発電機の増設を決めた。福島第一原発では燃料が損傷し周辺に放射性物質が漏出した。同じ事態に陥らないか検証を進めている。
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東海第二原発も危機一髪であったのだ。

【放射能漏れ】田村市住民130人が一時帰宅 新型防護服を初採用 未成年者も初参加 [原発事故]

田村市住民130人が一時帰宅 新型防護服を初採用 未成年者も初参加
2011.5.22 21:11

 東京電力福島第1原発から半径20キロ圏内の警戒区域への一時帰宅が22日、福島県田村市で住民76世帯130人が参加して実施された。一時帰宅は川内村、葛尾村に続いて3度目。暑さ対策として新型防護服を初採用したが、蒸し暑さを指摘する声も上がり、今後の実施に課題が残った。

 新型防護服は上着とズボンに分かれた通気性の高いタイプで、旧型のつなぎよりも着脱しやすい。この日の田村市周辺は雨の影響で約19度と涼しかったが、市職員の佐藤勇一さん(42)は「家は閉め切りだから、上下が分かれていても作業中は蒸した。炎天下だったら厳しい」と話した。

 警戒区域の境界から約1キロの所に自宅がある会社員、遠藤和夫さん(62)は「放射線量も低いのに、なんで重装備をしなければいけないのか」と憤る。息子の剛志さん(35)は家族4人の夏物衣類が詰まった70センチ四方のポリ袋を手に「いつ帰れるようになるか分からないから、秋物も持ってきたかった」と話した。

 20歳未満として初の一時帰宅者となった県立高校2年、大井川雄太さん(16)は、約2カ月半ぶりに自宅に戻った。小・中学校の卒業アルバムや卒業証書のほか、梅雨に備えて布団乾燥機などを持ち帰った。「恐怖心はなかったが、防護服を着て家に入るのは違和感があった」

 一緒に帰宅した母親の清子さんは「1人では心細かったので、息子がいて助かった」と語った。

 内閣府の担当者によると、滞在2時間で受けた個人の累積放射線量は最高1マイクロシーベルトで、除染が必要な人はいなかった。
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 放射能汚染への対策は何も進んでいない。垂れ流し状態が続き、放射能の蓄積が進んでいるが、あまりマスコミも報じなくなってきた。状況は何も変わっていないどころか、より深刻化が増しているとみるべきだろう。〝風評被害〟という言葉を恐れて、検査機関が照射線量を計測しない動きも見られてきた。安全でもなんでもないのである。計測しても公表しない場合もあるのだろう。こうなったら、自己防衛しか、自分の身を守るしかない。
 避難された方々が、元の生活に戻れるのはいつになるのだろうか。心配である。

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